食べ物

 

 

 

 

以下、「以下、温泉旅館&食べ物前編からの続きです」と言う文までは、前回の投稿と、ほとんど、同じ文です。

 

やや前の事ですが、去年の11月の中旬、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に滞在したついでに、(別荘から)近場の、温泉旅館に、宿泊した時の物です。

 

この時は、1泊目は、別荘に宿泊し、2泊目は、温泉旅館に宿泊しました。

 

この時は、もう(別荘周辺(長野(nagano)県の中南部の高原地帯)の)紅葉も終り、しばらく別荘には行かなくなるのと(ちなみに、前は、スキー(skiing)をしに、冬にも、別荘に、よく行っていましたが、最近は、ちょっと飽きて来て、冬には、別荘に、前程は、行かなくなりました)、冬には、別荘周辺は、非常に寒くなる事から、ほとんどmaintenance(水の凍結により、水道管や便器が破損するのを防ぐ処理等)の為に別荘を訪れ、そのついでに、(別荘から)近場の、温泉旅館に、宿泊したと言った感じです。

 

私の別荘の有るエリア(area)(長野(nagano)県の中南部area)は、大きく、諏訪(suwa)湖(下の補足説明参照)周辺の盆地エリア(area)と、高原エリア(area)に分かれます。私の別荘は、高原エリア(area)(長野(nagano)県の中南部の高原地帯)の方に有りますが、高原エリア(area)と、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の間は、自動車で簡単に行き来出来ます(高原エリア(area)と、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)は、経済的・文化的な繋がりは、強いです)。
諏訪(suwa)湖:長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖。諏訪(suwa)湖周辺は、温泉が豊富で、規模の大きな温泉保養地等となっています。

 

諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)は、諏訪(suwa)市(人口5万人程の小都市ですが、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)だけでなく、(高原エリア(area)も含む)長野(nagano)県の中南部areaの中心都市。大規模な温泉保養地となっていて、温泉を、家の風呂に引いている一般家庭も有る程、温泉の湯量が豊富)、下諏訪(shimosuwa)町(人口約2万人。町としては、人口が、多い。温泉の湯量が、豊富で、古くからの温泉保養地となっている)、岡谷(okaya)市(人口約5万人。温泉が乏しく、観光面においては弱いが、近代以降は、工業都市(第二次世界大戦前は、製糸業、第二次世界大戦後は、精密機械工業)として発展)から、成ります。

 

この時は、諏訪(suwa)市にある温泉旅館に宿泊しました。諏訪(suwa)市は、人口5万人程の小都市ですが、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)だけでなく、(高原エリア(area)も含む)長野(nagano)県の中南部areaの中心都市となっています。大規模な温泉保養地となっていて、温泉を、家の風呂に引いている一般家庭も有る程、温泉の湯量が豊富です。

 

この時は、諏訪(suwa)市の、鷺乃湯(saginoyu)と言う温泉旅館に宿泊しました。別荘滞在中、時々、気分転換に、別荘の有る長野(nagano)県や隣接する山梨(yamanashi)県の、旅館やリゾート(resort)ホテル、ペンション等に一泊程度宿泊しています。


鷺乃湯(saginoyu)は、諏訪(suwa)湖の湖畔にある、1911年に創業した(元々、1905年頃、温泉施設として創業したが、温泉旅館となったのは、1911年)、温泉旅館です(旅館の建物は、時代に合せて、建て替えています)。鷺乃湯(saginoyu)は、諏訪(suwa)湖周辺の温泉保養地を代表する、歴史のある、高級温泉旅館の一つとなっています(ただし、絶対的には、超高級と言う程では、全くない)。鷺乃湯(saginoyu)に宿泊したのは、この時で、3回目でした。鷺乃湯(saginoyu)は、所謂、平凡な、(現代的な温泉旅館としては)昔ながらの、高級classの温泉旅館と言った感じなのですが、たまには、平凡な、高級classの温泉旅館に宿泊するのも、良い物です(鷺乃湯(saginoyu)は、前述の通り、絶対的には、超高級温泉旅館と言う程では、全くないのですが、これが、超高級温泉旅館であったならば、「たまには、宿泊するのも、良い物です」等と悠長に言っていられず、金銭的に(私の、個人的な、財政事情からしたらw)、めったに泊まれないw)。

 

 

 

以下、温泉旅館&食べ物前編からの続きです。。。

 

以下、この時、私達が、宿泊した温泉旅館、鷺乃湯(saginoyu)の続きです。

 

 

写真以下3枚。この温泉旅館(鷺乃湯(saginoyu))の、客室例。パンフレット(leaflet)より。。。

 

 

 

この時は、この温泉旅館で、一番安いclassの客室に宿泊したのですが、この時、宿泊した客室は、左側の、真ん中の客室と同タイプ(同じ形式。同じ広さ)の客室でした。一番安いclassの客室でも、割と、広々としています。

 

 

 

写真以下2枚。この温泉旅館で、高いclassの客室(源泉かけ流しの、温泉露天(野外)風呂が、客室に備わっている)の、客室の、温泉露天(野外)風呂。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下12枚。この時、この温泉旅館で、私達が、宿泊した客室の、窓からの景色。一番安いclassの客室に宿泊したので、(この温泉旅館は、諏訪(suwa)湖の湖畔にあるにも関わらず)、客室の窓からは、ほとんど、諏訪(suwa)湖が見えませんでしたが、客室の窓からは、この旅館に隣接する、片倉(katakura)館(前回の投稿参照)の建物が見え、何となく、趣のある景色でした。

 

写真以下12枚。客室(この時、私達が、この温泉旅館で宿泊した客室)の窓から見た、片倉(katakura)館(前回の投稿参照)の建物。1920年代に建てられた、趣のある近代建築です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

客室の窓の一つから、少しだけ、諏訪(suwa)湖が見えました。写真右側に見えるのが、諏訪(suwa)湖(長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖)の一部です。

 

 

 

 

 

 

この温泉旅館には、共同温泉風呂が二つあり、それぞれ、温泉室内(屋内)風呂と、温泉露天(野外)風呂があり、また、温泉露天(野外)風呂には、それぞれ、浴槽が、二つずつあります(一つは、普通の浴槽、もう一つは、一人から三人位で入浴する用の、小さな浴槽)。男女別の、共同温泉風呂の形式となっていますが、どちらの共同温泉風呂が、男用の共同温泉風呂、又は、女用の共同温泉風呂と、固定的に決まっている訳ではなく、時間に依って、男用の共同温泉風呂と女用の共同温泉風呂が、入れ替わる形式となっています。この旅館の温泉の湯は、色は、薄い褐色で、泉質は、ヌルヌルした感じで、肌、体に良さそうな感じです。

 

写真以下6枚。この温泉旅館の、共同温泉風呂。客室に置いてある、ガイド(旅館案内)及び、パンフレット(leaflet)より。。。

 

写真以下4枚の、温泉露天(野外)風呂の屋根(比較的、大きな浴槽の方の屋根)は、建て替えの為に取り壊されてしまった、この温泉旅館の、1930年代に建てられた建物の、一部分を利用した物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下17枚。この温泉旅館で、この時、食べた夕食等。

 

写真以下2枚。この夕食時に、私が飲んだ、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)。

 

 

 

地元産(諏訪(suwa)湖周辺産)の、ビール。これは、(温泉の入浴で、乾いた喉を潤す)、最初の、1杯と言った感じで、一気飲みと言った感じで、あっと言う間に(すぐに)、飲んでしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

利き酒セット(5種類の日本酒を、少しずつ、飲み比べながら味わえる、組み合わせ)。分かり易い様に、会社名ではなく、製造している日本酒の代表的なbrand名で、挙げますが、真澄(masumi)(1662年創業の、日本酒の会社)、麗人(reijin)(1789年創業の、日本酒の会社)、舞姫(maihime)(1894年創業の、日本酒の会社)、本金(honkin)(1756年創業の、日本酒の会社)、横笛(yokobue)(1958年創業の日本酒の会社)の、日本酒です。真澄(masumi)、麗人(reijin)、舞姫(maihime)、本金(honkin)、横笛(yokobue)は、何れも、この旅館がある、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の諏訪(suwa)市(人口5万人程の小都市ですが、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)だけでなく、(高原エリア(area)も含む)長野(nagano)県の中南部areaの中心都市となっている)の日本酒の会社です。私は、この夕食時は、多様な日本酒を、少しずつ飲みたい気分であったので、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、この利き酒セット(5種類の日本酒を、少しずつ、飲み比べながら味わえる、組み合わせ)を、もう一つ、追加で頼んで、飲みました。

 

 

 

 

写真以下15枚。この温泉旅館で、この時、食べた夕食。全て、一人一皿ずつ(写真は、一人分)です。部屋出し(食堂(dining room)で食べるのでは無く、ホテルのroom serviceの様に、部屋まで料理が運ばれて来て、部屋で料理を食べる形式)で、松茸(matsutake。香りの良い、高級な茸)をテーマとした、メニュー(menu)を食べました。

 

 

手前の飲み物は、食前酒の、カリン(花梨)酒。カリン(花梨)は、諏訪(suwa)湖周辺の盆地エリア(area)の特産物(盛んに栽培されている物)となっています。

 

 

 

 

 

 

 

海老、イベリコ(Iberian)豚肉のスモーク(燻製)、柿餅、鮎(川魚)の甘露煮、銀杏等。

 

 

 

 

 

 

 

 

毛蟹。中々、美味しい毛蟹でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

ウニ(雲丹)豆腐と松茸(matsutake)昆布の、イクラ掛け。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信州(shinsyu)牛(長野(nagano)県産の、高級牛肉)の、しゃぶしゃぶしゃぶ(shabu-shabu)(これを、煮え立った出汁(dashi)汁に、くぐらせて食べます)。柔らかいのに、さっぱりとしていて(まあ、私は、しつこい牛肉も好きですが)、美味しい牛肉でした。

 

 

 

 

 

 

 

天麩羅(海老、松茸(matsutake)、南瓜、獅子唐)。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。松茸(matsutake)を、主とした、焼き物(松茸(matsutake)の他は、エリンギ茸、小柱(貝(貝柱))、小海老、銀杏)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。松茸(matsutake)入り、信州(shinsyu)サーモン(salmon)(長野(nagano)県産の、高品質な鱒(trout))の蒸し物。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松茸(matsutake)、ご飯(rice)。松茸(matsutake)、ご飯(rice)は、おひつ(ご飯(rice)を入れる容器)に、たっぷりと(たくさん)入れられて、出てきました(結構(たくさん)、お代わりして食べました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

味噌汁(miso soup)。

 

 

 

 

 

 

 

 

漬物。

 

 

 

 

 

 

 

 

デザート(dessert)。栗の、ムース(mousse)。メロン(melon)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。夜の、この温泉旅館の、館内の風景例。

 

 

 

旅館の中庭にある、足湯(足だけ浸かる、温泉)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真右側は、朝食の食堂(dining room)等として使われる部屋。この時、私達は、この部屋で、朝食を食べました。

 

 

 

 

 

 

この温泉旅館の館内には、(それぞれの、芸術家・工芸家が、どの様な形で、この温泉旅館に縁があるのかは、分かりませんが)この温泉旅館に縁のある、画家等の芸術家や工芸家の作品が飾られています。

 

 

写真以下15枚。参考に、熊谷 守一(kumagai morikazu)について。。。


 

 

熊谷 守一(kumagai morikazu)。1880年生まれ、1977年に亡くなる。第2次世界大戦前から1970年代にかけて活躍した、日本の有名な、近代・現代画家です。ピカソ(picasso)の様に、普通に絵を描いても上手な画家ですが、絵は、だんだんと単純化された物になって行きました。金や名声と言った物に執着は無く、人が、たくさん来ては、困るからと、文化勲章授与者に選ばれながらも、それを受ける事を辞退し、絵は、描きたい時に描き、生活は、決して豊かでは無かった様です。

 

 

 

 

写真以下14枚。絵葉書等の写真で申し訳有りませんが、熊谷 守一(kumagai morikazu)の作品例。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「白猫」。1959年。

 

 

 

 

 

 

 

「蝉」。1961年。

 

 

 

 

 

 

 

 

「どろ(泥)人形」。1962年。

 

 

 

 

 

 

 

 

「冬の夜」。1964年。

 

 

 

 

 

 

 

「桜」。1964年。

 

 

 

 

 

 

 

 

「つゆ草」。1964年。

 

 

 

 

 

 

 

 

「母子像」。1965年。
 

 

 

 

 

 

 

「野草」。1972年。

 

 

 

 

 

 

 

熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館のパンフレット(leaflet)の表紙から。。「アゲ羽蝶」1976年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とんぼ(トンボ)」 1977年。

 

 

 

 

 

 

 

 

「蟻」 制作年が、ちょっと分かりません。。。

 

 

 

 

 

 

 

「眠猫」 制作年不詳。

 

 

 

 

 

 

 

「とんぼ(トンボ)」制作年が、ちょっと分かりません。。。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この温泉旅館に飾られている、芸術家や工芸家の作品例で、熊谷 守一(kumagai morikazu)の作品(おそらく。。。間違っていたら済みません。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。参考に、小山 敬三(koyama keizo)について。。。。

 

 

作品の制作を行う、小山 敬三(koyama keizo)。長野(nagano)県の、小諸(komoro)市にある、小山 敬三(koyama keizo)美術館のパンフレット(leaflet)より。。。小山 敬三(koyama keizo)(1897年生まれ。1987年に亡くなる)は、日本の有名な、西洋画家です。小山 敬三(koyama keizo)は、1897年に、小諸(komoro)(長野(nagano)県の東部に位置する、人口4万人程の、小都市)の、古くから醸造業(山吹(yamabuki)味噌と言う、1674年創業の、小諸(komoro)の味噌店(小規模な味噌会社))を営む、裕福な商人の家に生まれました。1920年に、23歳で、フランスに留学。1922年、サロン・ドートンヌ(Salon d"Automne)に入選。同年、フランスの貴族の娘と結婚。1926年には、サロン・ドートンヌ(Salon d"Automne)の会員となり、1927年、パリ(Paris)で、個展(作品展示会)を開いた際には、フランス政府が、作品を買い上げました。1928年、妻を連れて、日本に帰国。1929年、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の茅ヶ崎(chigasaki)の海沿いに家を建て、住む様になりました。1933年、サロン・ドートンヌ(Salon d"Automne)の審査員に任命される。1956年、三越(mitsukoshi)デパート、日本橋(nihonbashi)本店にて、展覧会(exhibition)が開催される。1975年、文化勲章受賞。1982年、東京都心の、大規模ホテル、新高輪(shintakanawa)プリンスホテル(prince hotel)(現在の、グランドプリンスホテル(grand prince hotel)新高輪(shintakanawa))のロビー(lobby)に飾られる大作、「紅浅間(紅asama)」を完成させる。

 

 

写真以下5枚。小山 敬三(koyama keizo)美術館のパンフレット(leaflet)、絵葉書から。。。小山 敬三(koyama keizo)の作品例。

 

 

写真左、「ばら(薔薇)」。写真右、「赤い橋」(1921年)。

 

 

 

 

 

 

 

「ブルーズ・ド・ブルガリ」(1948年)。ブルガリア(Bulgaria)のブラウス(blouse)を着た、自分の(小山 敬三(koyama keizo)の)の娘をモデル(model)にした作品です。

 

 

 

 

 

 

「真昼の白鷺城」(1953年)。姫路(hemeji)城(castle)(下の補足説明参照) を描いた作品です。
姫路(hemeji)城(castle):姫路(himeji)城(castle)は、日本の西部の兵庫(hyogo)県の、概ね、現在の、姫路(himeji)市(中都市と大都市の中間位の人口を有する都市だが、中都市と大都市の中間位の人口を有する都市としては、人口は、少ない)と、その周辺地域を統治していた地方領主の城(castle)で、歴史は、1346年まで遡りますが、現在に至る最終型に整備されたのは、17世紀初めの事です。姫路(himeji)城(castle)自体の敷地面積は、約70,000坪(約230,000平方m)ですが、姫路(himeji)城(castle)は、姫路(himeji)城(castle)の周辺を掘(moat)と石垣(stone wall)等で囲い、その中に、地方領主に仕える侍(samurai)、商人、職人等を住まわせた城郭都市を形成していました。したがって、姫路(himeji)城(castle)の面積は、城郭都市を含むと、約700,000坪(約2,300,000平方m)有りました。姫路(himeji)城(castle)部分(約70,000坪)は、現在も残されていますが、姫路(himeji)城(castle)以外の城郭都市部分は、現在は、現代的なビルや住宅が建ち並ぶ、姫路(himeji)の市街地の一部となっており、かつての面影は、ほとんど残っていません。上の絵(「真昼の白鷺城」)に描かれているのは、現存する姫路(hemeji)城(castle)の天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)です。現存する姫路(hemeji)城(castle)の天守閣(tensyukaku)は、17世紀初めに、当時、姫路(himeji)を統治していた、地方領主、池田 輝政(ikeda terumasa)が、先代の姫路(himeji)城(castle)の天守閣(tensyukaku)(1580年に建てられた)を解体し、新たに建てた物です。姫路(himeji)城(castle)の敷地内の建物の数多くが、19世紀末に、城(castle)の廃止に伴い、取り壊されてしまいましたが、姫路(himeji)城(castle)は、現在の日本において、天守閣(tensyukaku)を有する封建制時代(18世紀半ば以前)の城(castle)が、建物を含めて、最も良く残されている例となっており、国宝に指定され(UNESCOの世界遺産にもなっている)、日本を代表する観光地の一つとなっています。

 

 

 

 

 

「浅間(asama)山黎明」(1959年)。浅間(asama)山(標高2,568m)は、長野(nagano)県と、長野(nagano)県の東部に隣接する群馬(gunma)県の境にある山で、活火山です。小諸(komoro)や軽井沢(karuizawa)は、浅間(asama)山の山麓に広がる都市(町)です。浅間(asama)山は、小山 敬三(koyama keizo)が、よく絵の題材にした山です。

 

 

 

 

 

 

 

「妙高(myoko)遠望」。

 

 

 

 

 

 

 

この温泉旅館に飾られている、芸術家や工芸家の作品例で、小山 敬三(koyama keizo)の作品(おそらく。。。間違っていたら済みません。。。)。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この温泉旅館に飾られている、芸術家や工芸家の作品例で、エミール・ガレ(Emile Galle)の作品(たぶん。。。間違っていたら済みません。。。)。ちなみに、この温泉旅館がある、諏訪(suwa)市には、(エミール・ガレ(Emile Galle)とドーム(Daum)の作品を中心とした)アールヌーヴォー(Art Nouveau)期の、フランスのガラス(glass)工芸品の分野において、世界最大級のコレクション(collection)を有する、北澤(kitazawa)美術館と言う、私営の美術館があります。北澤(kitazawa)美術館の収蔵品(collection)は、美術館の地元(諏訪(suwa)市)の実業家(バルブ(valve)製造会社の社長)が、個人の趣味で集めた、工芸品・美術品が基となっていて、北澤(kitazawa)美術館は、エミール・ガレ(Emile Galle)の代表作を数多く所有しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この時、この温泉旅館に宿泊した日の翌朝、この温泉旅館で食べた、この温泉旅館の朝食については、前回の投稿(温泉旅館&食べ物前編)を、ご覧下さい。

 

 

この時、この温泉旅館に宿泊した翌日は、午後から、仕事の用事があった為、早目に、東京に帰って来ました。

 

 

 

この時、この温泉旅館に宿泊した翌日、東京への帰りに、高速道路(motorway)の、山梨(yamanashi)県(東京圏の西部、長野(nagano)県の中南東部等に隣接する県。東京圏と長野(nagano)県の間に位置する)の、甲府(kofu)盆地(下の補足説明参照)内の、PA(rest area)で、撮影した写真。この時は、空気が、かなり霞んでいた(空気に水分が多くて、遠くが、よく見えない状態であった)のですが、向こうに、うっすらと、高い山が見えるのが分かるかな。。。
甲府(kofu)(甲府(kofu)盆地):甲府(kofu)は、山梨(yamanashi)県の中心部にある中都市で、山梨(yamanashi)県の県庁所在地(capital)であると供に、山梨(yamanashi)県で最大の人口を有する都市です。山梨(yamanashi)県の中心部に位置する広い盆地、甲府(kofu)盆地から成る、広い都市圏(人口的には中都市圏規模)、甲府(kofu)都市圏は、山梨(yamanashi)県の政治、経済、文化の中心地となっています。あくまで、個人的な印象ですが、山梨(yamanashi)県における、甲府(kofu)及び、甲府(kofu)都市圏の存在は、何となくですが、フランスにおける、パリ(Paris)及び、イルドフランス(パリ(Paris)都市圏)の存在に似ている様な気がします(もちろん、甲府(kofu)とパリ(Paris)、山梨(yamanashi)県とフランスは、全く違いますが。。。ただし、山梨(yamanashi)県とフランスは、wineの主要な産地であると言う所は似ている)。例えば、日本全体で見れば、東京都市圏に対抗し得る都市圏として、(大阪、京都、神戸(kobe)を中心とした)関西(kansai)都市圏が有り、長野(nagano)県では、長野(nagano)(長野(nagano)県の北部にある中都市。長野(nagano)県の県庁所在地(capital))に対抗し得る都市として、松本(matsumoto)(長野(nagano)県の中部にある中都市)が有りますが、山梨(yamanashi)県における、甲府(kofu)都市圏の存在は、突出している様な感じです。非常に大雑把な言い方になってしまいますが、山梨(yamanashi)県は、中心部の大きな盆地に有る一つの大きな都市圏(ただし、人口的には、中都市圏規模)、甲府(kofu)都市圏と、そこから広がる(それを取り囲む)、豊な自然と田舎によって構成されている県と言った感じの様な。。。

 

 

 

 

 

温泉旅館&食べ物、終わり。。。

 

 

 

 

 

 

 


온천 여관&음식 후편.

 

 

 

 

이하, 「이하, 온천 여관&음식 전편으로부터의 계속입니다」라고 하는 문장까지는, 전회의 투고와 거의, 같은 문장입니다.

 

약간 전의 일입니다만, 작년의 11월의 중순, 도쿄의 우리 집으로부터 자동차로 2 시간 반정도의, 나가노(nagano) 현의 중남부의 타카하라 지대(피서지)에 있는 별장(별장이라고는 해도, 비교적 유복한 사람들이 보유하는 것 같은 전형적인 별장이 아니고, 서민적인 중고의 독립주택입니다)에 체재한 김에, (별장으로부터) 근처의, 온천 여관에, 숙박했을 때의 물건입니다.

 

이 때는, 1박목은, 별장에 숙박해, 2박목은, 온천 여관에 숙박했습니다.

 

이 때는, 이제(벌써)(별장 주변(나가노(nagano) 현의 중남부의 타카하라 지대)의) 단풍도 끝나, 당분간 별장에는 가지 않게 되는 것과(덧붙여서, 전은, 스키(skiing)를 해에, 겨울에도, 별장에, 자주 가고 있었습니다만, 최근에는, 조금 질려 오고, 겨울에는, 별장에, 행방은, 가지 않게 되었습니다), 겨울에는, 별장 주변은, 매우 추워지는 일로부터, 거의 maintenance(물의 동결에 의해, 수도관이나 변기가 파손하는 것을 막는 처리등 )를 위해 별장을 방문해 그하는 김에, (별장으로부터) 근처의, 온천 여관에, 숙박했다고 한 느낌입니다.

 

나의 별장이 있는 에리어(area)(나가노(nagano) 현의 중남부 area)는, 크고, 스와(suwa) 호수(아래의 보충 설명 참조) 주변의 분지 에리어(area)와 타카하라 에리어(area)로 나누어집니다.나의 별장은, 타카하라 에리어(area)(나가노(nagano) 현의 중남부의 타카하라 지대)에 있습니다만, 타카하라 에리어(area)와 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area)의 사이는, 자동차로 간단하게 왕래 할 수 있습니다(타카하라 에리어(area)와 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area)는, 경제적·문화적인 연결은, 강합니다).
스와(suwa) 호수:나가노(nagano) 현의 중남부에 있는 큰 호수.스와(suwa) 호수 주변은, 온천이 풍부하고, 규모의 큰 온천 보양지등이 되고 있습니다.

 

스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area)는, 스와(suwa) 시(인구 5만명정도의 소도시입니다만, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area) 뿐만이 아니라, (타카하라 에리어(area)도 포함한다) 나가노(nagano) 현의 중남부 area의 중심 도시.대규모 온천 보양지가 되고 있고, 온천을, 집의 목욕탕에 당기고 있는 일반 가정도 있는만큼, 온천의 탕수의 양이 토요토미), 시모스와(shimosuwa) 마을(인구 약 2만명.마을로서는, 인구가, 많다.온천의 탕수의 양이, 풍부하고, 옛부터의 온천 보양지가 되고 있다), 오카다니(okaya) 시(인구 약 5만명.온천이 부족하고, 관광면에 있어 약하지만, 근대 이후는, 공업도시(제이차 세계대전전은, 제사업, 제이차 세계대전 후는, 정밀 기계공업)로서 발전)로부터, 완성됩니다.

 

이 때는, 스와(suwa) 시에 있는 온천 여관에 숙박했습니다.스와(suwa) 시는, 인구 5만명정도의 소도시입니다만, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area) 뿐만이 아니라, (타카하라 에리어(area)도 포함한다) 나가노(nagano) 현의 중남부 area의 중심 도시가 되고 있습니다.대규모 온천 보양지가 되고 있고, 온천을, 집의 목욕탕에 당기고 있는 일반 가정도 있는만큼, 온천의 탕수의 양이 풍부합니다.

 

이 때는, 스와(suwa) 시의, 로내탕(saginoyu)이라고 하는 온천 여관에 숙박했습니다.별장 체제중, 가끔, 기분 전환에, 별장이 있는 나가노(nagano) 현이나 인접하는 야마나시(yamanashi) 현의, 여관이나 리조트(resort) 호텔, 펜션등에 일박 정도 숙박하고 있습니다.


로내탕(saginoyu)은, 스와(suwa) 호수의 호반에 있는, 1911년에 창업한(원래, 1905년경, 온천 시설로서 창업했지만, 온천 여관이 된 것은, 1911년), 온천 여관입니다(여관의 건물은, 시대에 배합하고, 개축하고 있습니다).로내탕(saginoyu)은, 스와(suwa) 호수 주변의 온천 보양지를 대표하는, 역사가 있는, 고급 온천 여관의 하나가 되고 있습니다(다만, 절대적으로는, 초고급이라고 말하는만큼에서는, 전혀 없다).로내탕(saginoyu)에 숙박한 것은, 이 때로, 3번째였습니다.로내탕(saginoyu)은, 소위, 평범한, (현대적인 온천 여관으로서는) 옛날부터의, 고급 class의 온천 여관이라고 한 느낌입니다만, 가끔씩은, 평범한, 고급 class의 온천 여관에 숙박하는 것도, 좋은 것입니다(로내탕(saginoyu)은, 상술한 대로, 절대적으로는, 초고급 온천 여관이라고 말하는만큼에서는, 전혀 없습니다만, 이것이, 초고급 온천 여관이었다면, 「가끔씩은, 숙박하는 것도, 좋은 것입니다」등으로 느긋하게 말해 있을 수 있지 않고, 금전적으로( 나의, 개인적인, 재정 사정으로부터 하면 w), 좀처럼 묵을 수 없는 w).

 

 

 

이하, 온천 여관&음식 전편으로부터의 계속입니다...

 

이하, 이 때, 저희들이, 숙박한 온천 여관, 로내탕(saginoyu)의 계속입니다.

 

 

사진 이하 3매.이 온천 여관(로내탕(saginoyu))의, 객실예.팜플렛(leaflet)보다...

 

 

 

이 때는, 이 온천 여관에서, 제일 싼 class의 객실에 숙박했습니다만, 이 때, 숙박한 객실은, 좌측의, 한가운데의 객실과 동타입(같은 형식.같은 넓이)의 객실이었습니다.제일 싼 class의 객실에서도, 생각보다는, 매우 넓고 있습니다.

 

 

 

사진 이하 2매.이 온천 여관에서, 높은 class의 객실(원천 내기 흘려 보내기의, 온천 노천(야외) 목욕탕이, 객실에 갖춰지고 있다)의, 객실의, 온천 노천(야외) 목욕탕.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 12매.이 때, 이 온천 여관에서, 저희들이, 숙박한 객실의, 창으로부터의 경치.제일 싼 class의 객실에 숙박했으므로, (이 온천 여관은, 스와(suwa) 호수의 호반에 있는 것에도 불구하고), 객실의 창에서는, 거의, 스와(suwa) 호수가 보이지 않았습니다만, 객실의 창에서는, 이 여관에 인접하는, 카타쿠라(katakura) 관(전회의 투고 참조)의 건물이 보여 웬지 모르게, 정취가 있는 경치였습니다.

 

사진 이하 12매.객실(이 때, 저희들이, 이 온천 여관에서 숙박한 객실)의 창으로부터 본, 카타쿠라(katakura) 관(전회의 투고 참조)의 건물.1920년대에 지어진, 정취가 있는 근대 건축입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

객실의 창의 하나로부터, 약간, 스와(suwa) 호수가 보였습니다.사진 우측으로 보이는 것이, 스와(suwa) 호(나가노(nagano) 현의 중남부에 있는 큰 호수)의 일부입니다.

 

 

 

 

 

 

이 온천 여관에는, 공동 온천 목욕탕이 두 개 있어, 각각, 온천 실내(옥내) 목욕탕과 온천 노천(야외) 목욕탕이 있어, 또, 온천 노천(야외) 목욕탕에는, 각각, 욕조가, 둘씩 있습니다(하나는, 보통 욕조, 하나 더는, 한 명으로부터 세 명정도로 입욕하는 용무의, 작은 욕조).남녀별의, 공동 온천 목욕탕의 형식이 되고 있습니다만, 어느 쪽의 공동 온천 목욕탕이, 남용의 공동 온천 목욕탕, 또는, 녀용의 공동 온천 목욕탕과 고정적으로 정해져 있는 것이 아니고, 시간에 의는, 남용의 공동 온천 목욕탕과 녀용의 공동 온천 목욕탕이, 바뀌는 형식이 되고 있습니다.이 여관의 온천의 뜨거운 물은, 색은, 얇은 갈색으로, 샘질은, 누르눌 한 느낌으로, 피부, 몸에 좋을 것 같은 느낌입니다.

 

사진 이하 6매.이 온천 여관의, 공동 온천 목욕탕.객실에 놓여져 있는, 가이드(여관 안내) 및, 팜플렛(leaflet)보다...

 

사진 이하 4매의, 온천 노천(야외) 목욕탕의 지붕(비교적, 큰 욕조의 분의 지붕)은, 재건축을 위해 해체되어 버린, 이 온천 여관의, 1930년대에 지어진 건물의, 일부분을 이용한 것입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 17매.이 온천 여관에서, 이 때, 먹은 저녁 식사등.

 

사진 이하 2매.이 저녁 식사시에, 내가 마신, 술(알코올(alcoholic) 음료).

 

 

 

현지산(스와(suwa) 호수 주변산)의, 맥주.이것은, (온천의 입욕으로, 마른 목을 적신다), 최초의, 한잔이라고 한 느낌으로, 술따위를 한번에 다 마셔버리는 이라고 한 느낌으로, 순식간에(곧바로), 마셔 버렸습니다.

 

 

 

 

 

 

 

시음 세트(5 종류의 일본술을, 조금씩, 마셔 비교하면서 맛볼 수 있는, 조합해).알기 쉽게, 회사명이 아니고, 제조하고 있는 일본술의 대표적인 brand명으로, 듭니다만, 마스미(masumi)(1662년 창업의, 일본술의 회사), 미인(reijin)(1789년 창업의, 일본술의 회사), 무희(maihime)(1894년 창업의, 일본술의 회사), 원금(honkin)(1756년 창업의, 일본술의 회사), 횡적(yokobue)(1958년 창업의 일본술의 회사)의, 일본술입니다.마스미(masumi), 미인(reijin), 무희(maihime), 원금(honkin), 횡적(yokobue)은, 어느 쪽도, 이 여관이 있는, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area)의 스와(suwa) 시(인구 5만명정도의 소도시입니다만, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area) 뿐만이 아니라, (타카하라 에리어(area)도 포함한다) 나가노(nagano) 현의 중남부 area의 중심 도시가 되고 있다)의 일본술의 회사입니다.나는, 이 저녁 식사시는, 다양한 일본술을, 조금씩 마시고 싶은 기분이었으므로, 술(알코올(alcoholic) 음료)은, 이 시음 세트(5 종류의 일본술을, 조금씩, 마셔 비교하면서 맛볼 수 있는, 조합해)를, 하나 더, 추가로 부탁하고, 마시는 것해?`스.

 

 

 

 

사진 이하 15매.이 온천 여관에서, 이 때, 먹은 저녁 식사.모두, 일인일명씩(사진은, 일인분)입니다.방방편(식당(dining room)에서 먹는 것은 없고, 호텔의 room service와 같이, 방까지 요리가 옮겨져 오고, 방에서 요리를 먹는 형식)에서, 송이 버섯(matsutake.향기가 좋은, 고급버섯)을 테마로 한, 메뉴(menu)를 먹었습니다.

 

 

앞의 음료는, 식전술의, 모과(모과나무) 주.모과(모과나무)는, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 에리어(area)의 특산물(활발히 재배되고 있는 것)이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

새우, 이베리코(Iberian) 돼지고기의 스모크(훈제), 카키모치, 은어(민물 고기)의 조림, 은행등.

 

 

 

 

 

 

 

 

모해.꽤, 맛있는 모해였습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

성게(성게젓) 두부와 송이 버섯(matsutake) 다시마의, 이크라 하는 도중.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

신슈(shinsyu) 우(나가노(nagano) 현산의, 고급 쇠고기)의, 해 샤브샤브(shabu-shabu)(이것을, 익어 선 국물(dashi) 국물에, 빠져 나가게 해 먹습니다).부드러운데, 담백하고(뭐, 나는, 끈질긴 쇠고기도 좋아합니다만), 맛있는 쇠고기였습니다.

 

 

 

 

 

 

 

천부라(새우, 송이 버섯(matsutake), 호박, 피망).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.송이 버섯(matsutake)을, 주로 한, 구이(송이 버섯(matsutake) 외는, 에린기버섯, 오바시라(조개(조개관자)), 코카이로, 은행).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.송이 버섯(matsutake) 들어가, 신슈(shinsyu) 새먼(salmon)(나가노(nagano) 현산의, 고품질인 준(trout))의 찜.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

송이 버섯(matsutake), 밥(rice).송이 버섯(matsutake), 밥(rice)은, 밥통(밥(rice)을 넣는 용기)에, 충분히(많이) 넣을 수 있고, 나왔습니다(상당히(많이), 한 그릇 더 해 먹었습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

된장국(miso soup).

 

 

 

 

 

 

 

 

채소 절임.

 

 

 

 

 

 

 

 

디저트(dessert).률의, 무스(mousse).멜론(melon).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.밤의, 이 온천 여관의, 관내의 풍경예.

 

 

 

여관의 안뜰에 있는, 다리를 더운물에 담금(다리만 잠기는, 온천).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 우측은, 아침 식사의 식당(dining room) 등으로서 사용되는 방.이 때, 저희들은, 이 방에서, 아침 식사를 먹었습니다.

 

 

 

 

 

 

이 온천 여관의 관내에는, (각각의, 예술가·공예가가, 어떤 형태로, 이 온천 여관에 인연이 있는지는, 모릅니다만) 이 온천 여관에 인연이 있는, 화가등의 예술가나 공예가의 작품이 장식되어 있습니다.

 

 

사진 이하 15매.참고에, 쿠마가이 마모루1(kumagai morikazu)에 대해...


 

 

쿠마가이 마모루1(kumagai morikazu).1880 년생, 1977년에 죽는다.제2차 세계대전 전부터 1970년대에 걸쳐 활약한, 일본의 유명한, 근대·현대 화가입니다.피카소(picasso)와 같이, 보통으로 그림을 그려도 능숙한 화가입니다만, 그림은, 점점 단순화 된 쓸모 있게 되어 갔습니다.돈이나 명성이라고 한 것에 집착은 없고, 사람이, 많이 와서는, 곤란하기 때문이라고, 문화 훈장 수여자로 선택되면서도, 그것을 받는 일을 사퇴해, 그림은, 그리고 싶을 때에 그려, 생활은, 결코 풍부하지 않았다 같습니다.

 

 

 

 

사진 이하 14매.그림 엽서등의 사진으로 죄송합니다만, 쿠마가이 마모루1(kumagai morikazu)의 작품예.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「흰고양이」.1959년.

 

 

 

 

 

 

 

「매미」.1961년.

 

 

 

 

 

 

 

 

「진흙(진흙) 인형」.1962년.

 

 

 

 

 

 

 

 

「 겨울의 밤」.1964년.

 

 

 

 

 

 

 

「벚꽃」.1964년.

 

 

 

 

 

 

 

 

「국물풀」.1964년.

 

 

 

 

 

 

 

 

「모자상」.1965년.
 

 

 

 

 

 

 

「야생초」.1972년.

 

 

 

 

 

 

 

쿠마가이 마모루한(kumagai morikazu) 미술관의 팜플렛(leaflet)의 표지로부터..「아게우접」1976년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「잠자리(잠자리)」 1977년.

 

 

 

 

 

 

 

 

「개미」제작년이, 잘 모릅니다...

 

 

 

 

 

 

 

「면묘」제작년 미상.

 

 

 

 

 

 

 

「잠자리(잠자리)」제작년이, 잘 모릅니다...

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 온천 여관에 장식되어 있는, 예술가나 공예가의 작품예로, 쿠마가이 마모루1(kumagai morikazu)의 작품(아마...잘못되어 있으면 끝나지 않습니다...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.참고에, 고야마 게이조(koyama keizo)에 대해....

 

 

작품의 제작을 실시하는, 고야마 게이조(koyama keizo).나가노(nagano) 현의, 코모로(komoro) 시에 있는, 고야마 게이조(koyama keizo) 미술관의 팜플렛(leaflet)보다...고야마 게이조(koyama keizo)(1897 년생.1987년에 죽는다)는, 일본의 유명한, 서양화가입니다.고야마 게이조(koyama keizo)는, 1897년에, 코모로(komoro)(나가노(nagano) 현의 동부에 위치하는, 인구 4만명정도의, 소도시)의, 옛부터 양조업(야마후키(yamabuki) 된장이라고 말하는, 1674년 창업의, 코모로(komoro)의 된장점(소규모의 된장 회사))을 영위하는, 유복한 상인의 집에서 태어났습니다.1920년에, 23세에, 프랑스에 유학.1922년, 살롱·드톤누(Salon d"Automne)에 입선.동년, 프랑스의 귀족의 딸(아가씨)와 결혼.1926년에는, 살롱·드톤누(Salond"Automne)의 회원이 되어, 1927년, 파리(Paris)에서, 개인전(작품 전시회)을 열었을 때에는, 프랑스 정부가, 작품을 매입했습니다.1928년, 아내를 동반하고, 일본에 귀국.1929년, 카나가와(kanagawa) 현(동경권의 남부를 차지하는 현)의 치가사키(chigasaki)의 해안에 집을 지어 사는 것처럼 되었습니다.1933년, 살롱·드톤누(Salon d"Automne)의 심사원에게 임명된다.1956년, 미츠코시(mitsukoshi) 백화점, 니혼바시(nihonbashi) 본점에서, 전람회(exhibition)가 개최된다.1975년, 문화 훈장 수상.1982년, 도쿄도심의, 대규모 호텔, 신고고리(shintakanawa) 프린스 호텔(prince hotel)(현재의, 그랜드 프린스 호텔(grand prince hotel) 신고고리(shintakanawa))의 로비(lobby)에 장식되는 대작, 「다홍색 아사마(다홍색 asama)」를 완성시킨다.

 

 

사진 이하 5매.고야마 게이조(koyama keizo) 미술관의 팜플렛(leaflet), 그림 엽서로부터...고야마 게이조(koyama keizo)의 작품예.

 

 

사진왼쪽, 「장미(장미)」.사진 오른쪽, 「붉은 다리」(1921년).

 

 

 

 

 

 

 

「블라우스·드·불가리」(1948년).불가리아(Bulgaria)의 블라우스(blouse)를 입은, 자신의 것(고야마 게이조(koyama keizo)의 것)의 딸(아가씨)를 모델(model)로 한 작품입니다.

 

 

 

 

 

 

「한낮의 시라사기성」(1953년).히메지(hemeji) 성(castle)(아래의 보충 설명 참조)를 그린 작품입니다.
히메지(hemeji) 성(castle):히메지(himeji) 성(castle)은, 일본의 서부의 효고(hyogo) 현의, 대체로, 현재의, 히메지(himeji) 시(안도시와 대도시의 중간위의 인구를 가지는 도시이지만, 안도시와 대도시의 중간위의 인구를 가지는 도시로서는, 인구는, 적다)와 그 주변지역을 통치하고 있던 지방 영주 성(castle)에서, 역사는, 1346년까지 거슬러 올라갑니다만, 현재에 이르는 최종형에 정비된 것은, 17 세기 처음의 일입니다.히메지(himeji) 성(castle) 자체의 부지면적은, 약 70,000평( 약 230,000평방 m)입니다만, 히메지(himeji) 성(castle)은, 히메지(himeji) 성(castle)의 주변을 굴(moat)과 돌담(stone wall) 등에서 둘러싸, 그 중에, 지방 영주를 시중드는 사무라이(samurai), 아킨도, 쇼쿠닌등을 사게 한 성곽도시를 형성하고 있었습니다.따라서, 히메지(himeji) 성(castle)의 면적은, 성곽도시를 포함하면, 약 700,000평( 약 2,300,000평방 m) 있었습니다.히메지(himeji) 성(castle) 부분( 약 70000평)은, 현재도 남아 있습니다만, 히메지(himeji) 성(castle) 이외의 성곽도시 부분은, 현재는, 현대적인 빌딩이나 주택이 늘어서는, 히메지(himeji)의 시가지의 일부가 되고 있어 한 때의 모습은, 거의 남아 있지 않습니다.위의 그림( 「한낮의 시라사기성」)에 그려져 있는 것은, 현존 하는 히메지(hemeji) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)(성(castle)의 건물중, 성(castle)의 권위를 상징하는 건물)입니다.현존 하는 히메지(hemeji) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)는, 17 세기 처음에, 당시 , 히메지(himeji)를 통치하고 있던, 지방 영주, 이케다 아키라정(ikedaterumasa)가, 선대의 히메지(himeji) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)(1580년에 지어졌다)를 해체해, 새롭게 세운 것입니다.히메지(himeji) 성(castle)의 부지내의 건물의 많이가, 19 세기말에, 성(castle)의 폐지에 수반해, 해체되어버렸습니다만, 히메지(himeji) 성(castle)은, 현재의 일본에 있고, 아성의 망루(tensyukaku)를 가지는 봉건제 시대(18 세기 중반 이전)의 성(castle)이, 건물을 포함하고, 가장 잘 남아 있는 예가 되고 있어 국보로 지정되어(UNESCO의 세계 유산으로도 되어 있다), 일본을 대표하는 관광지의 하나가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

「아사마(asama) 산여명」(1959년).아사마(asama) 산(표고 2,568 m)는, 나가노(nagano) 현과 나가노(nagano) 현의 동부로 인접하는 군마(gunma) 현의 경계에 있는 산에서, 활화산입니다.코모로(komoro)나 카루이자와(karuizawa)는, 아사마(asama) 산의 산록에 퍼지는 도시(마을)입니다.아사마(asama) 산은, 고야마 게이조(koyama keizo)가, 자주(잘) 그림의 소재로 한 산입니다.

 

 

 

 

 

 

 

「묘오코(myoko) 원망」.

 

 

 

 

 

 

 

이 온천 여관에 장식되어 있는, 예술가나 공예가의 작품예로, 고야마 게이조(koyama keizo)의 작품(아마...잘못되어 있으면 끝나지 않습니다...).

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 온천 여관에 장식되어 있는, 예술가나 공예가의 작품예로, 에밀·급사면(Emile Galle)의 작품(아마...잘못되어 있으면 끝나지 않습니다...).덧붙여서, 이 온천 여관이 있는, 스와(suwa) 시에는, (에밀·급사면(Emile Galle)과 돔(Daum)의 작품을 중심으로 한) 아르누보(Art Nouveau) 기의, 프랑스의 유리(glass) 공예품의 분야에 있고, 세계 최대급의 콜렉션(collection)을 가지는, 키타자와(kitazawa) 미술관이라고 말하는, 사영의 미술관이 있습니다.키타자와(kitazawa) 미술관의 수장품(collection)은, 미술관의 현지(스와(suwa) 시)의 실업가(밸브(valve) 제조 회사의 사장)가, 개인의 취미로 모은, 공예품·미술품이 기가 되고 있고, 키타자와(kitazawa) 미술관은, 에밀·급사면(Emile Galle)의 대표작을 많이 소유하고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 때, 이 온천 여관에 숙박한 날의 이튿날 아침, 이 온천 여관에서 먹은, 이 온천 여관의 아침 식사에 대해서는, 전회의 투고(온천 여관&음식 전편)를, 봐 주세요.

 

 

이 때, 이 온천 여관에 숙박한 다음날은, 오후부터, 일의 용무가 있던 때문, 빨리, 도쿄에 돌아왔습니다.

 

 

 

이 때, 이 온천 여관에 숙박한 다음날, 도쿄에의 오는 길에 , 고속도로(motorway)의, 야마나시(yamanashi) 현(동경권의 서부, 나가노(nagano) 현의 중남 동부등에 인접하는 현.동경권과 나가노(nagano) 현의 사이에 위치한다)의, 코후(kofu) 분지(아래의 보충 설명 참조) 내의, PA(restarea)로, 촬영한 사진.이 때는, 공기가, 꽤 희미하게 보이고 있었다(공기에 수분이 많고, 먼 곳이, 잘 안보이는 상태였다) 것입니다만, 저 편으로, 희미하게, 높은 전망이 서는 것을 알까...
코후(kofu)(코후(kofu) 분지):코후(kofu)는, 야마나시(yamanashi) 현의 중심부에 있는 중 도시에서, 야마나시(yamanashi) 현의 현청 소재지(capital)이라고 보조자에, 야마나시(yamanashi) 현에서 최대의 인구를 가지는 도시입니다.야마나시(yamanashi) 현의 중심부에 위치하는 넓은 분지, 코후(kofu) 분지로부터 완성되는, 넓은 도시권(인구적으로는 안도시권 규모), 코후(kofu) 도시권은, 야마나시(yamanashi) 현의 정치, 경제, 문화의 중심지가 되고 있습니다.어디까지나, 개인적인 인상입니다만, 야마나시(yamanashi) 현에 있어서의, 코후(kofu) 및, 코후(kofu) 도시권의 존재는, 뭐라고 없고입니다만, 프랑스에 있어서의, 파리(Paris) 및, 이르드후란스(파리(Paris) 도시권)의 존재를 닮아 있는 것 같은 생각이 듭니다(물론, 코후(kofu)와 파리(Paris), 야마나시(yamanashi) 현과 프랑스는, 완전히 다릅니다만...다만, 야마나시(yamanashi) 현과 프랑스는, wine의 주요한 산지이다고 하는 곳은 비슷하다).예를 들면, 일본 전체로 봐 , 도쿄도시권에 대항 할 수 있는 도시권으로서(오사카, 쿄토, 코베(kobe)를 중심으로 한) 칸사이(kansai) 도시권이 있어, 나가노(nagano) 현에서는, 나가노(nagano)(나가노(nagano) 현의 북부에 있는 중 도시.나가노(nagano) 현의 현청 소재지(capital))에 대항 할 수 있는 도시로서 마츠모토(matsumoto)(나가노(nagano) 현의 중부에 있는 중 도시)가 있습니다만, 야마나시(yamanashi) 현에 있어서의, 코후(kofu) 도시권의 존재는, 내미고 있는 것 같은 느낌입니다.매우 대략적인 말투가 되어 버립니다만, 야마나시(yamanashi) 현은, 중심부의 큰 분지에 있는 하나의 큰 도시권(다만, 인구적으로는, 안도시권 규모), 코후(kofu) 도시권과 거기로부터 퍼지는(그것을 둘러싼다), 풍인 자연과 시골에 의해서 구성되어 있는 현이라고 한 느낌의 같은...

 

 

 

 

 

온천 여관&음식, 마지막...

 

 

 

 

 

 

 

 



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